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KHJ  カンボジア ビジネス/旅行-Cambodia business / trip発信ブログ-

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内戦終了から20年

10月23日の朝日新聞の社説に、カンボジアについての記事が紹介されていました。

以下、記事をそのまま紹介します。


プノンペンの王宮の背後に日が沈むころ、トンレサップ川の岸辺に並ぶカフェの前を外国人女性たちがそぞろ歩く。
かつてのカンボジアでは想像できなかった平和な光景だ。

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パリ和平協定が結ばれ、長い内戦が終わったのは1991年10月23日。20年がたった。
その間に、4度の総選挙を大きな混乱なくできた。大量虐殺の元凶だったポル・ポト派は98年に帰順し、治安は安定した。外国からの投資も入り、年平均8%の経済成長をしている。

新政府樹立以来、2人首相制の時期をふくめ、フン・セン氏は18年間首相を務めている。このところ独裁傾向を強めているという批判がある。法整備の混乱や人権侵害、汚職、貧富の格差の拡大といった途上国に共通する悩みも多い。
しかし、ともかくも平和が成し遂げられ、維持されていることを喜びたい。


カンボジアは日本にとって特別の国である。
戦後、経済力をつけ国際社会に復帰した日本が、初めて第三国の紛争解決にかかわったのがこの国である。
和平を話し合う国際会議で、難民帰還や復興をあつかう委員会のとりまとめ役を務め、その後も援助を主導した。東京で紛争4派の会合の場もつくった。

国連の平和維持活動に初めて参加したのもカンボジアでだった。激しい国内議論のすえに自衛隊を送り、文民警察や停戦監視員、選挙監視ボランティアら多くの日本人が加わった。

手探りの仕事だった。警察官と選挙監視員が亡くなった。そうして得た貴重な経験である。

草の根協力もカンボジアで育った。内戦中に多くの日本のNGOがタイ国境の難民キャンプで働き、和平後も医療、教育、農業など様々な分野で支援を続けている。日本の援助でできた学校は680校にのぼる。

目標の見えなかった若者たちがカンボジアの学校建設に汗を流す日本映画がある。カンボジアは若者にとって、いまも気づきの場である。助けつつ、逆に私たちがカンボジアで学んだことがいかに多いか。

経済分野では中国や韓国が目立つが、日本企業もようやく目を向けてきた。国民の多くはまだ貧しい農民で、20歳未満が4割以上を占める若い国だ。今後も支援を続けていきたい。

カンボジアでの経験を手に、国際組織や援助の場で活躍している人は数多い。だが今の政府がそれを平和への貢献や、途上国支援に十分生かしているとは言えない。残念なことである。


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朝日新聞社(http://www.asahi.com/paper/editorial20111023.html) 10月23日の社説より


内戦から20年がたって、たった20年ですごく成長したのだろうな、という思いと、ほんの20年前までこの国でも大変なことが起こっていたのだということが信じられない思いがあります。
もっといろいろな人たちが、カンボジアで大変なことがあったということを知っていき、これからも心に留めていけたらと思います。

『カンボジアは日本にとって特別の国である。』

日本も、カンボジアも、お互い助け合いながら、成長していけたら素敵だなと思います。


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